嵐の民主主義
基本は多数決。
1人がやりたくないって言ったことは絶対にやらない。
そこは民主主義が崩れるんだけど、
1人がやりたくない、わからないって言ったことはいまだにやってない
これが二宮自身から発信された嵐の決め事というかなんというか。
嵐の仕事において独裁だのなんだのはなくて、無理矢理やらされているなんてことはないんだよって話と同時に個人の意見も尊重していることがよくわかるなと。それが嬉しかったんですよ。
でもなぜかこのコメントを使って
潤くんが1人で「やりたくないと言っているんだ」
やりたくないって1人が言ったらやらない、それならなぜ高所恐怖症の翔くんに「フライングさせたんだ」
などと懐疑的に受け取ってる一部のアンリーのツイを見てしまって。
呆れて言葉も出なくて、けれども自担の言葉を自担の大切にしてるメンバー叩きの道具にされているのがどうにも許せなくて。
ツイでまとめきれないからブログのアカウント取って、今回だけは長くなるけどとりあえず言わせてください。
何をどうやったらそんな曲解できるの?馬鹿なの?
逆に聞きたい。
話し合って結果フライングしようと翔くんが納得したからやったという考え方はできなかったの?
発売されたばかりのシネマスクエアでニノさんでの発言に近い話をされてました。
Q.メンバーの愛情を感じる瞬間は?
A.それはもう、つねにですね。僕たちは基本的に多数決で物事を決めるんですけど、誰かひとりでもやりたくないって人がいれば、やらないんです。
この方法をずっと変えずにいられるのは、やっぱりお互いに愛情があるからだと思う。
ひとりでも反対する人がいればやらないってみんな分かっているから、違う意見を言う時にはちゃんと責任も感じているし。
このやり方を続けていられるのは、メンバーと“嵐”に対する愛情があればこそだと思っています。
1人が「やりたくない」って反対するのにはそれだけの責任感を持って反対するんですよ。
仮に潤くんが「やりたくない」と言ってるとしたら、それにはちゃんとそれだけの理由があってこその判断なんですよ。
アンリーの方々の思ってるくだらない陰謀だとか、そんなどす黒い妄想で語られることはないんですよ。
日経エンタでの「untitled」のユニットに関してスタッフさんの提案からだとわかったのも同じですよ。
メンバーと一番距離が近いスタッフさんが話し合っている中で提案したことになぜ「ソロが欲しかったファンのこと考えてくれなかった」ってなるの?
昔からというか自主レーベルに移ってからは嵐はやりたいことをやるスタンスでしたよ。
でもだからってファンのこと考えていないわけではない。
お願いだから日経エンタ買ってきてちゃんと読んでください。
SNSは個人の自由で何を言っても自由だというのは間違っているんですよ。
秩序あっての自由なんですよ。
それとメンバーがそれぞれに発信してる言葉を切り取ったり、身勝手な曲解でメンバーを叩くことで嫌悪感抱くのは当たり前ですよ。